一般社団法人 埼玉県水泳連盟ジュニア委員会 委員長挨拶


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ごあいさつ 埼玉県水泳連盟ジュニア委員会の足跡


埼玉県水泳連盟ジュニア委員会 委員長 中山一郎

昭和50年、川口市長を6期され、初代埼玉県水泳連盟(以下県水連)会長の要職に就いておられた故大野元美先生の肝いりでスイミングクラブ(スクール)を統括する任意団体として、スイミングクラブ部会(以下SC部会)が発足しました。これが、後にジュニア委員会となるのですが、大野先生は当時親交のあった故平田栄一先生(当時県水連副会長)を強く支持され、スイミングクラブの存在を確固たるものとして県水連に記してくれました。
このSC部会が、昭和56年に現在のジュニア委員会(以下委員会)と名称を変え県水連の委員会となったのです。
委員会の規約を策定するにあたり、故丸笹治彦先生(当時埼玉県水泳連盟副会長)、大塚 勇先生(埼玉スウィンスイミングスクール代表)、堤 好雄先生(スウィン大教スイミングスクール代表)、和泉 洋先生(埼玉県水泳連盟会長)等が中心となってSC部会のものを委員会用のものに作り変えました。この際一番問題になったことは、各々のスイミングクラブが委員会に100%登録してもらうには、どのようにしたら良いのだろうか、という事でした。この点を考慮して最終的に出来上がったものが以下の条文でした。
それは、「会員は、必ずジュニア委員会を経由し、県水連に加盟しなければならない。」というもので、これは委員会に登録せずに直接県水連に加盟する事を防止するための規約でした。そして全29条(最初は28条)からなる規約が出来上がり、これを基に委員会が発足し活動し始めました。
また、このジュニア委員会発足と相前後して、神奈川県と埼玉県とのクラブ対抗戦が始まりました。この対抗戦は平成15年までの25回の長期に渡り行われ、我が埼玉県が14勝11敗と勝ち越して双方合意の上でめでたく終了しました。この対抗戦の選手として出場した選手の中から、埼玉県だけでも3名のオリンピック選手が生まれました。簗瀬かおり選手、司東利恵選手、粕谷恭子選手の3選手であり、それぞれロサンゼルス、バルセロナオリンピックの二つの大会に出場し活躍しました。今は教職の道で活躍されたり、不動産鑑定士の資格を取得し、其方の方面で力を発揮されたりしているようです。
これらの選手が口を揃えて「この対抗戦に県の代表として出場したことが、その後の水泳活動に大いに役に立ちました。」と言ってくれ、いい形で対抗戦ができたことを当時の発案者である橋爪四郎先生、故平田栄一先生に感謝したいと思っています。

近年では、世界水泳選手権(ローマ)での古賀淳也選手(埼玉スウィン)の金メダル獲得を皮切りに、瀬戸大也選手(JSS毛呂山)の世界水泳選手権2連覇(バルセロナ・カザン)、オリンピックでは、北京オリンピックに北川麻美選手(スウィン大宮)、星奈津美選手(スウィン大教)が出場、ロンドンオリンピックでは連続出場を果たした星奈津美選手(スウィン大教)が念願の銅メダルを獲得しました。リオデジャネイロオリンピックでは、3大会連続出場となる星奈津美選手、古賀淳也選手、瀬戸大也選手、酒井夏海選手(スウィン南越谷)が出場し、星奈津美選手は2大会連続の銅メダル獲得、瀬戸大也選手も銅メダル獲得の大活躍でした。現在も、日夜努力を重ね、2020年に開催される東京オリンピック出場に向けて選考会の日を今や遅しと待っているのが現状です。このような中でジュニア委員会は、「水泳王国埼玉」を掲げ、強化を中心に、普及、大会運営、研修等の活動に力を注いでいます。

この委員会の初代委員長に故丸笹治彦先生が就任され、二代目が大塚勇先生(県水連顧問)、三代目が故湯浅康耀先生(元県水連常任理事)、四代目が和泉洋先生(県水連会長)、五代目が中山一郎先生(県水連副理事長)と受け継がれ、現在六代目の丸笹公一郎となっています。そして、白石福松 副委員長(事務局長)他36名の常任委員と共につつがなく活動しています。

平成30年5月